昨日「写真を撮って下さい」と小学生のグループにカメラを渡されて液晶を探してみたら、なかった…というのも、それは使い捨てカメラだった。
おー、この感覚は久しぶり!と思ってシャッターを切ってしまった。
先日、コンビニ(たぶん)で「こういうのって誰がまだ使っているのか?」と思っていたのだけど、確かに小学生とかはこうやって使うのかもね〜。親にデジカメ借りて、何かあっても(しかも、ありそうだし)困るだろうしね。
写し終ったら、ちゃーんとフィルムを巻いておいてあげました。親切!(>自分で言うな?)
…と言うのも、かなり前に八幡宮の大階段でとあるおじさんに「カメラを撮ってほしいのだけど、買ったばかりなのに使えない〜。どうしたらいいんだろう?」と突然カメラを渡されたのを思い出したからであった。
でも、今思うと、あれは親切だったのか?もしかしたら、うっかり何かが撮れてしまってないか、急に心配になってきた。
昨日、電車に乗っていてふとレコードの針が飛んで繰り返し曲がリピートされるのを思い出し「むっちゃんは、レコードの針が飛んだ時のあの感覚を味わうことなんてないんだろうなぁ」と思ったらもったいないような気がしてしまった。
この手の、私たちが昔、体験していた懐かしの些細なこと。現在では、ほとんど遭遇することがないんだろうなぁ。その他に何がある?と思い出そうとして思い出したのが、ぼっとん便所に「落ちるかも〜」という恐怖。今日、むっちゃんが便座に落ちそうになって思い出した。
ま、絶対に体験することはない!とまでは言い切れないけれど、こういうことを体験せずに大人になると「どんな気分?」と答えのない疑問が浮かんでくる。もちろん、当時の私が感じていない数々の体験を経て大人になっていくのだろうけれどね〜。
数日前から起きた時に咽が痛かったのだけど、今朝はあまりの乾燥でむせまくって5時ごろ起きるハメになってしまった(もちろん、寝直しました)。昨日の晩には、咽の漢方薬も飲んでマスクして寝たのに。そんなわけで(?)朝から病院へ行くことにした。
あっという間に診察が終わり、さてお会計
「1,900円になります」と聞こえたのだけど「まさか」と思って思わずレジを見やると、「えっ、せんきゅうひゃくえん!?」
※当然のことながら、心の声ですよ
ここのところ、自分が病院にかかることはほとんどなく、主に行くのはむっちゃんのときだけ。むっちゃんは、天下の医療証を持っているので費用はいっさいかからない。なので、病院でいくらか払うことはすっかり抜けていたのと、内心「かかっても千円未満だろう」と思い込んでいた。
その後、薬局でも更に千円ほどとられて約三千円の出費になってしまった。おそるべし〜。
これからは、うかうか自分では病院へも行けないかも〜。
昨日もらった boursin のケース。みんな既に持っているものかもしれないけど、私は初めて見て感動〜でした。

いつも開けたらカサカサにしてしまう私ですが、これがあると、本当に便利かも。
先日、むっちゃん部屋(予定)の壁紙の張り替えをした。それにあたって、ずっとあかずの間のごとく使っていた部屋の荷物を微妙に整理&移動したのだけど、クローゼットにはもう何年も使用されてない服が結構かかっていた。

これらの服を着ていた自分を思い出せない私。どういうわけか、シャツが多かったりするんだけど。な〜んて思っていたら古い写真が出てきて「おー、着てた着てた」と記憶が戻りましたよ。
でも、だからと言ってまた着るか?というとそれはノーかなぁ。ということで、この服たちはフリマor寄付or廃棄かなぁ〜。みんなは古着をどうしてるの?
最近、若干の文字が判別できるようになったむっちゃん。と言っても、まだまだまだまだ道のりは遠いって感じですがッ。ちなみに、個人的には日によってもどこまで判別できてるかが異る気がします。
カレンダーを見ながら「2はどこ?」と聞くので教えてあげると「ここにもあるでしょ」と知ったかして指さした個所は「5」。相変わらず「2」と「5」の違いが分ってない様子なので「違うでしょ〜」と言って教えてみると「これはね、こうなってこうなっているでしょ。だから一緒なのよ」と逆解説を受けるはめに…。ともかく、「2」は逆さまになると「5」になるということらしい。まあ、確かに似ているといえば似ているかな?
今はまだ覚えてるというよりは、興味を持っている範囲だと思う。ただ、一度覚えてしまったら、もう「わからない」には戻らないのかなぁ〜と思うと__子どもの成長とは、こういうことの繰り返しだけど__ちょっと寂しいような気もする。本来は喜ばしいことなので、こういう感情は変わっているのかもしれないけれど…。子どもの成長は、楽しい。けど切ない気持ちもほんのりだなぁと感じる私でした。
いつもお風呂にはいる時、むっちゃんは、ママが先に入っていて呼ばれてから入ることを好む。なのでうちではそうやっている。
いつも私(あるいは旦那)がお風呂に入り、カラダ等を洗い始めるとダダダダッとむっちゃんが走ってくる。「呼ばれてから来るんじゃないのかな?」と思うと、ドアを開けて「むっちゃんのプーさん使っていいよ」と言いに来る。ちなみに、これを翻訳すると「むっちゃんの、プーさんのシャンプー(子ども向けのリンス・イン・シャンプー)を使っていいよ」ということである。更にちなみに、私は「お気持ちだけ…」という感じなのだけど、旦那は数回使わせてもらったらしい…が、泡立ちは今一つらしい。おそらく、子ども向けなので、マイルドなのかと思われる。
今日は、お風呂後に「どうして、いつもプーさんのシャンプー貸してくれるの?」と聞いてみた。すると「だってね、むっちゃん、みんなで一緒に使いたかったんだよぉ」(ちなみに、最近この「だよぉ」がブーム)と言うことらしい。この「シャンプーどうぞ」は、自分と一緒に入った人以外にも適用されているのだけど、私と旦那以外は何を言いに来たのか今一つ「?」である。私の父は、かなり適当に返答をしていた。
余談だけど「いいよー」と呼ばれてからお風呂に入ってくるむっちゃんなのだけど、呼ばれなかった場合はと言うと、ちょっと怒りながら「まだ〜」という感じでやって来る。ただし、そこで「ああ、もう入っていいよ」と素っとぼけた返答をすると本当に怒り出すので注意が必要。ちゃんと呼ばれてから入るという一種の儀式(?)である。
今日のむっちゃんは、夕方、帰ってきてから昼間にリトミックで歌った「ロンドン橋」を延々と歌っていた。最後に「♪もう、どうしましょ」とあるのだけど、そこを「もうのうしまどー」と歌っていた。どうも「もうのう/しまどー」と聞こえてしまった。世の中は、面白い誤変換であふれ返っているけど、おうむ返しの時期の子どもの曖昧な言葉も結構笑える。
ところで、書きながら思ったのだけど、本当にこの歌って「もう/どうしましょう」って終るんだっけ?
さっきから延々と聞かされてわからなくなってきた…
スポンジ・ボブがスポンジであることに最近気がついた私。しかし、スポンジ・ボブをチーズだと思っていたのは私だけではないはずだ…?
タイトル書きつつ「エイプリル・フール」って死語っぽいと思ってしまいましたが、今でも使われているんでしょうか?
さて、今日は朝から旦那に「ウソをつくなら昨日。エイプリール・フールだから」と言われて、昨日がエイプリール・フールだったということを思い出しました。昨日は年度が替わって気分もリフレッシュ。すがすがしい気持ちで忘れていましたが、ウソつきそびれた〜!
子どもの頃、毎年この日は「火事だから起きなさい〜」と毎年ウソで叩き起こされていた私ですが、その話を旦那にしたら「そんな人が悪いことをするもんじゃない」というようなことを言われて温度差を感じましたが…ちうか、それ、うちの親に言ってよ、というところですよね〜。まあ、いろんな人がいるもんですよねってことで。
四月ですね〜。鎌倉も既に桜が満開で観光客もえらいこっちゃですが、皆さま、いかがお過ごしでしょう?
さて、先日、万年筆のことを書きましたが、今日はその後日談(>既に?)です。購入して早速使ってみると「おー、この感覚!」と感動して次の日も使ってみると…あれ、うまく書けない!
どうやら、インクが固まってしまったようでした。
いちおう前日に使い終った時にマニュアルに目を通して片づけたんだけどなぁ〜と思いつつも、一度流水で洗浄してみたところ、前日のインクが凝固していたようでした。そういえば、マニュアルには「パイロット以外のインクを使うと故障するかもよ」とあったのだけど、まさか…?
それを読んだ時に「またまた〜」といいながら、とりあえず自宅にあった Winsor&Newton のものを使ったのだけど、まずかったのかなぁ。ま、それ以外に考えられる理由もないので、やっぱりパイロットのインクを購入することにした。
ちなみに、私はパイロットのインクくらいどこにでもあると思っていたのだけど、あの手のものは、やっぱり万年筆が置いてあるようなところにしかないみたい。当たり前かな?
そして、インクを購入。帰って、早速、瓶のフタを開けて(どういうわけか)匂いをかいでみたところ「おおっ、この匂いは、万年筆の匂いだ〜」とビックリ。ビックリというか、懐かしいというか、ま、とりあえず、かつて私はこのインクを使っていたようだった。もしかしたら、万年筆用のインクというのは、この手の匂いなのかもしれないけれど…
しかし、あのマニュアル、あながちウソでもないのかも…と思いましたよ。昔使っていた時は、母が使っていたものをそのまま譲り受けただけで、マニュアルなんかもなく特にインクがどうとか思わなかったけど…。まあ、ともあれよかったよかった。